こんな風に生きていけたなら
第76回カンヌ映画祭。この映画での演技により役所広司が最優秀男優賞を獲得したのは2023年1月。
TVなどでも話題となり、私もこの映画を知り、すぐにでも観たくなった。
しかし、待てど暮らせど日本での公開日が決定しない。
YOUTUBEで予告をただ眺める日々が1年弱続いた。
そして2023年年末の12月22日に公開となり、私も鑑賞することが出来た。
極端にセリフの少ないこの映画で、役所広司の演技は本当に素晴らしいものであった。
ルー・リードのPERFECT DAYという曲
なぜ、この映画にそこまで惹かれたのか。
それはルー・リード(Lou・Reed 1942-2013)の代表曲「PERFECT DAY」がこの映画の挿入歌に使われ、そしてタイトルに使われたからだ。
この曲は、映画「トレイン・スポッティング」でも象徴的に挿入された曲であり、自分の人生にとってもとても大切な曲だ。
私はこの曲を聴いて思うのだ。
多分、この曲の主人公は選択を間違えたのだ、それも何度も。
そして道をはずれてしまったのだ。そして引き返せないところまで来てしまった。
いかんともしがたいこんがらがった毎日。
それでも、恋人と穏やかに過ごすたった1日の休日を「完璧」という。
こんな俺でも「お前といればこそ生き続けられる」という。
何もかもを失って、道を間違えても、それでも心配事もしなくていい、完璧な1日があれば生きていける。
そんな心持ちを歌った曲なのだ。
自分で選び取る、完璧な日々
しかし、自分のこの曲の解釈と、この映画でいう「PERFECT DAYS」は似て比なるものであった。
映画の主人公の「平山」は、ただ一人で完璧な円を描く毎日を過ごす。
毎日が同じにみえる。朝起きて、歯を磨き、植物に霧吹きで水を与え、ジャラジャラとカギを集め、カメラを携えて外に出る。
空を見上げ、缶コーヒーを買って車に乗り込む。
朝の支度から毎日同じ日々なのだ。
そして、清掃の仕事も、清掃後の日々の過ごし方も。
「平山」の繰り返しの日々をこの映画はひたすら観客に眺めさせる。
その間に観客は気づくだろう。
「平山」はこの生活を自ら選び取ったのだと。
繰り返す完璧な日々を。
「こんな風に生きていけたなら」映画にはそんなコピーが与えられた。
私自身もそんな風に生きていけたらどんなに平穏だろうと思う。しかし現実にはそのような日々はきっと退屈なのだろう。そう感じるように大抵の人間はできている。
しかし「平山」の心は、穏やかな変化を感じ取り、日々を楽しむ力が備わっているのだ。
心にさざなみの立つことのない丁寧な生活。誰も気づかないような小さな変化。
木々の木漏れ日のような、2度とはない空の写真。全てが彼には特別なのだ。
多くの人がそのように生きたくても、実際には難しいのだろう。
「平山」に起きる変化とは
しかし、この映画にも変化が訪れる。
「平山」の完璧な日々が、描く円環が、ある出来事によって揺らぐのだ。
彼は、自分がきっと選び取った人生に後悔はしていないはずだった。
自分の生き方を選び取る中で、逡巡し悩みながら、遠い昔にあきらめたこともあったはずだ。
そんな深い後悔のような忘れさった何かが、いくつかの出来事をきっかけに彼の心を揺らすのだ。
「平山」は何も語らない。しかし彼は表情で全てを語っている。
私は「平山」の過去に何があったのかを知る必要はなかった。
もちろん映画でもそれを知るすべはないし、そのことはこの映画にとって重要でない。
ただ、私は「平山」が揺らぎの中で見せる様々な表情から、
彼が生き方を選び取り「自分だけの世界」を発見することで、
失ってしまった違う世界の可能性に思いを馳せた。
1つの生き方を決めるということは、別の生き方をあきらめ、「世界を閉ざす」ということなのだ。
だからこそ、彼は珍しく言葉にして、世界の感じ方についてのあるセリフを言うのだ。
彼は、きっとここまで実に人間らしく悩んでこの「完璧な日々」に行き着いたのだ。
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