アルファンソ・キュアロンの大・大・大名作
もしかするとこの映画はマイナーな部類に入るかもしれないが、特に子どものいる親御さんにおすすめしたい映画だ。
ハリー・ポッターとアズカバンの囚人、またゼロ・グラビティやROMAでも評価の高い
アルファンソ・キュアロンが監督を務め、2006年に公開された映画である。
この映画は当時の第79回アカデミー賞では、賞自体の受賞は逃したものの、脚色賞、撮影賞、編集賞でノミネートされた。
やはり特筆すべきは圧巻の長回し(にみえる)撮影技術であり、カットの継ぎ目がわからないくらいの精密さで映画のシーンが途切れなく展開していくことだ。
あまりにも臨場感があり、家のテレビで鑑賞していても没入感がすごいのだ。
アルファンソ・キャアロンの鬼才ぶりが遺憾無く発揮された映画だと思う。
2027年のイギリスを舞台にしたディストピア映画
西暦2027年。人類は希望を失い、世界は混乱に陥っていた。
新しい子供が全く産まれなくなってしまったのだ。
現代に生きていると全く想像もつかないが、もしこれから先、新たな世代が産まれないとわかったときに世界はどうなるのだろう。
この映画は、そんなことが現実に起きてしまった世界が舞台だ。
世界からは秩序が失われ、各国が無政府状態に陥り、かろうじてイギリスだけが軍により治安を守っているのだ。
この映画は、前述のとおり2006年に公開された映画であり、その当時に約20年後がどうなっているかを映像化したものである。
今や2027年は目前でありあと3年後である。そのような観点からも興味深く鑑賞できる。
私は、今や誰もが手放せない「スマホ」がこの映画の世界に存在しないことに、奇妙さを覚えたものの、「スマホ」に生活を縛られない未来もある意味ではうらやましいと思ってしまった。
唯一産まれくる赤子は希望なのか・・・。
この映画の世界に生きる人々は、未来に希望を見出すことができず、投薬による自殺すら政府からは推奨されている。
想像して欲しい。もう子供は産まれてくることはない。人類は自分たち世代で終わりだと悟った人類の絶望は計り知れないだろう。
そんな中で、反政府組織が発見した「妊娠した女性キー」。
物語は、この女性とこれから産まれてくるであろう赤子を中心に展開する。
かつては反体制の活動家であった主人公テオは、パートナーとの間に生まれた子を失ったことで、パートナーとも仲違いをし離別したのだろう。今やひとりものとしてなかば厭世的な生き方をしている。
しかし、なし崩し的に「キーと赤子」を守る立場を引き受けることとなり、
多大な犠牲を払いながらも、かつての活動家であった頃の志を思い出していくのだ。
子どもという存在の尊さを改めて認識するだろう
物語の中でもっとも感動的なシーンは決まっている。
私は、そのシーンで涙が理由もなくとめどなく溢れてきた。
きっと(特に子も持つ親ならば)多くの人も同じ心情になっていただろうと思う。
とにかく、子どもという存在の尊さを感じずにはいられないシーンがあるので、
ぜひこの映画をご覧になってもらいたい。
蛇足だが、私は、この映画を観るといつも、
RADIOHEADのIdiotequeの歌詞の一節「Women and children first,and children first and children(女と子どもが先、子どもが先、子どもが)」を思い出さずにはいられない。
この曲も終末に向かう世界を謳ったのだろうと思われる。
また、赤ちゃんのハイハイが戦争を止めるというピュアな理想を謳った、元Blankey Jet Cityの浅井健一が率いるSHERBETSの楽曲「Baby Revolution」も同時に思い出してしまう。
この曲のリリースは2005年と近く、映画のテーマにもなるような素晴らしい偶然だと思う。
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